Friday, June 12, 2009

6月12日 久保田

タイトル:ル・コルビュジエの『都市の建設』とラ・ショー=ドゥ=フォンの都市構造  玉置啓二
社団法人 日本都市計画学会 都市計画論文集 No.38-3 2003年10月
http://pkawap20.ce.t.kanazawa-u.ac.jp/~urbanplan/all/pdf/2003-38-3-151-901.pdf

はじめに:
スイスのヌシャーテル州ラ・ショー=ドゥ=フォンは、ル・コルビュジエが生まれ、学び、1917年にパリに転居するまで仕事をしたスイスで三番目に大きな都市である。1910年には、都市計画に関する理論書『都市の建設』を執筆した。結局、この著作は、未刊に終った。その後、都市計画に関する最初の著作は、『ユルバニスム』であるが、それは『都市の建設』以来15年間の探求の結実であると言える。探求の足跡をラ・ショー=ドゥ=フォンの都市構造との関連で考察した。ラ・ショー=ドゥ=フォンの都市史を概観し、その都市構造の特質を明らかにし、その特質が『都市の建設』においてどのように評価され、どのように『ウルバニスム』に継承されたかを検証した。

要約:
プラン・ジュノ、プラン・クナによって整備されたラ・ショー=ドゥ=フォンの街路は、機能的かつ衛生的ではあるが、貧困で退屈な景観を示していた。 都市のインフラ整備も進み、上下水道、さらには1903年に電線の完全地下埋設がヨーロッパで最初に完了した。
ラ・ショー=ドゥ=フォンの都市構造は、衛生学者ファストゥ博士の提案する理想住宅「ゾンネンバウ」の原理を反映したものであったが、街路は機能的かつ衛生的ではあるが、貧困で退屈な景観を示していた。ル・コルビュジエはその欠点を克服するため、1910年にジッテ的な『都市の建設』を執筆した。あくまでも、ラ・ショー=ドゥ=フォンの現状に対する批判的な研究が第一であったが、ジッテの著書にならい、普遍的な都市計画研究をも備えていた。

感想:
都市計画に正解はないと思うが、少しでもいい街にしようと、自分の理念をしっかりと芯に持ち、主張を続けていくことは大切なことだと感じた。多くの人の意見を自分なりに理解し、自分の意見の基にすることも大切なことだと思った。また、先を見据える目も、自分としてはとても重要だと思う。

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